タイトルの失われた犬というのは、漢字のこと。
わたしの親は昭和ヒトケタ世代なので、戦前の国語教育を受けている。それは、今よりずっと漢字の「あるべき姿」に近い文字を習っていたことを意味する。
たとえば、突然の突、戻、類、臭、器、などの文字にふくまれる「大」。もともとは「犬」であり、それが象形的にただしく、戦前の国語教育では当然、「犬」であった。
子どものころ、わたしの漢字練習帳をのぞきこんだ母は、「この字には、点があるはずよ。」と何度となく言い、わたしが「ないよ」と答えると、そのたびにしばしぼうぜんとしていた。
白川静さんの著書にくわしいが、先にあげた漢字はすべて犬牲(呪的な意味でのきよめ、はらいとしての儀礼)をしめす漢字であるえに、犬でなければならない。
本来、同系列に分類されるべき漢字でもある。
そのほうが、おぼえやすく合理的である。
「臭」は、臭覚のするどい犬の鼻(自の部分が、ハナの象形)をあらわしている。「大」では意味が通らない。
でもわたしの世代はすでに、戦後のまちがった漢字をおぼえ、それを正しいと思いこんで育ってしまった。
「隠」という文字が、本来、「神が隠れている」の意味であり、その神が隠れている呪具である「工」の表記がはぶかれているなど、白川さんの「字統」を読むまで、知らずにいた。
(ヨの部分は、真ん中の横棒がつきぬけているべきで、それが手首をあらわし、旧字体では、そのうえに、工がおかれていた。つまり現在の隠は、手首が切断され呪具がうばわれている)
その漢字が本来持っている(宿している)意味を考えつつ習うなら、子どもにも旧字体はたやすくおぼえられるはず。
もともとむずかしい漢字は、物語風におぼえるものだ。たとえば「棄」。
逆子で生まれた「子」をカゴにいれて、木にぶらさげて、棄てにゆく、というように。
「鬱」は林のなかにうつわ(缶)をかくしてある。覆(おお)いをかぶせたそのなかには、米を発酵させた酒にサジ(ヒ)をそえてある。たいへんおいしい(彡→色や音や香りのよいことを示す)。
・・・と心のなかでとなえると、たやすく書くことができる。
鬱の文字にふくまれる酒というのは、鬱金草の漢字でもわかるとおり、この香草をくわえた酒という意味であるとのこと(「字統」より)。
義務教育での漢字学習は受験のためとわりきるべき。
創作の現場では、必要なし。