ごらんのとおり、マスカットを思わせる石である。
葡萄はつる植物という点でも、魅力的な植物だが、食しても醸してもけっこうな、というわけで古代より、さまざまなシンボルとなっている。
有島武郎作『一房の葡萄』の、最後のページのうえにのせてみた。カバーのかわりに玻璃紙がかけてあった時代の(80年代にはまだ存在した)岩波文庫版であるから、表紙には葡萄の飾り罫がほどこされている。
『一房の葡萄』の葡萄は、実はデラウエア種と思われる紫の葡萄である。気高さや清らかさをあらわしている。
おなじく岩波文庫に収録されているデュマの『モンテ・クリスト伯』で、モンセール家の窓辺に麝香葡萄(じゃこうぶどう)が実るさまを描いた場面では、濃密な薫りと、蔓(つる)がからみつくさまを、その文字によって連想したものだ。
ジャン・ジュネの『泥棒日記』で描かれる葡萄は、もっとあからさま。これもマスカットに類するヨーロッパ産の葡萄だろう・・・。
それにしても、フランス人というのは、いまだに『泥棒日記』のイメージをひきずっているのか。オゾン監督の映画は好きではあるけれど、男と男というと、既視感をおこさせるカップルばかりというのは、どうしたものか。フランス人はここから抜けられないのか。
高校時代から、この手の映画ばかりいっしょに見ている友人と、オゾン監督の『ぼくを葬る』を見たあと(映画館ではなくDVDにて)、「こんども、突っこみどころが満載だった」と云いあったものである。