今、中学生と教師の話を書いている。
(妄想しないように。まじめなものだ)
その関連で、中学、高校時代はどんな作家や詩人に興味があったのだっけ、と
思いついて記憶をたどってみたが、はっきりしない。
教科書は、収納場所のつごうで捨ててしまったが、
副教材だった「新国語総覧」は今も持っている。
太陰暦の月齢や、古方位、干支の組み合わせなどがコンパクトにまとまっていて、
なかなか役立つ。
わたしは当時、教材に書きこみはしたが、
マーカーなどのチェックはしないたちだった。
(マーカーチェックをすると、
それだけで満足しておぼえなくなる、と思っていたから)
ただ、ラインマーカーというのは、そのころの新商品だったので、
使ってみたくなったのだろう。
このたび、あらためて教材をひろげてみたところ、
「近代文学の作家と作品」という項目で
ごく薄い色のマーカーをつかい、少しだけ線をひいてあった。
たぶん、そのころ気になった作家だろう。
宮澤賢治、萩原朔太郎、北原白秋などとともに、
中原中也にも線がひいてあった。作品のところは『在りし日の歌』をチェック。
ほんとうに?
どうかなあ、これは。当時のわたしの頭で、この詩集をどう読んだのだろう。
おぼえていない。
「サーカス」を気にいったのなら、わかるのだけども。
ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん
一度読んだらすぐ音になるから、もう耳から離れない。
大岡昇平さんがお書きになった伝記を読むと、
中也さんはこの「サーカス」を
大岡さんたち友人の前で、いつも朗唱してたようだ。
ところで、あの「お釜帽子」の肖像写真がでまわっているせいか、
中也さんは、「憂いをおびたまなざしの、繊細なロマンティスト」のイメージが強い。
だが、大岡さんの伝記では、
いつも大酒を呑んで酔っ払ったままケンカを売りまくる姿が描かれている。
親しくなると、すぐその人の家の近くに引っ越すのが「中原流であった」と
大岡さんは何度も書いている。
そうして、毎日通ってくる。詩について語る。酔っ払う。
相手を傷つけることばを、承知で口にする。あるいは書いて送りつける。
かつて交友のあった人々は、「中原の詩だけを読んで愛せたら、どんなにいいだろう」と
云っていたそうだ。
「新国語総覧」は高校時代の教材だった。
当時のわたしには、中也の詩のひびきのよいことばを
ひろうのが、やっとだった。
中也さんを、「繊細なひと」と感じるひとたちも、
十代のころに詩集を読んだときのイメージのままなのでは?
ともあれ、同時代人ではないわたしたちは、残された詩を読むのみ。
ところで、中也さんのリクルート写真ものこっている。
あの中也さんが、会社勤めをする気になったとは、驚くばかりだ。
(不採用だったが)