きのう、池袋のリブロが閉店すると報道番組で
伝えていました。
以前から話は耳にしていましたが、
20日が最終営業日だとは知りませんでした。
池袋リブロ店には、
わたしも数々お世話になりました。
『少年アリス』の単行本が刊行されたさい
(生まれて)初めてのサイン会をおこなったのが、
池袋リブロ店でした。
その後も、新刊が刊行されるさいに
幾度となくお世話になっています。
当時は、たくさんの読者のかたがたにも
お越しいただきました。
あらためてリブロ店と読者のかたの双方に
感謝申しあげます。
一読者としては
高校時代の西武ブックセンター時代にさかのぼります。
学校帰りの土曜日に西武美術館へ行き、
美術館賞のあとに書店へ立ち寄るパターンでした。
主に画集の売り場で時間を過ごしました。
たいていは見るだけ、です。
画集は高く、高校生には手が出なかったのです。
国書刊行会の書棚も、必ずチェックしました。
こちらも高価でしたから、見るだけです。
買うのは、文庫本かコミックス。
大学生になってからは、
アルバイト代などの収入があるときに
目当ての画集や本を
勇んで買に出かけたものです。
そうして〈ぽえむぱろうる〉です。
高校時代から、ここは要チェックでした。
最先端のことばがならんでいるからです。
当時は小説ではなくマンガを描いていたので
(漫研所属でしたから)
ネーム作りのことば採集には、
欠かせない場所であったのです。
そのころも鉱物系のことばを漁っていた気がします。
あるいは、耳新しい外来語。
なにしろ、漫研の部長をはじめとする上級生が
サバト、カルナバルなどを題材にするのが大好きで、
包帯は繃帯と書き、りんごは苹果と書く、と説くヤカラ。
片眼鏡(モノクル)と柄つき眼鏡(ロルネット)と
鼻眼鏡(ペンスネ)を正しく使いわける解説をする。
そんなふうでしたから、聞きなれないことばや見慣れない文字を
ならべることがネームであると、
わたしは大いなる勘違いををしてしまったのでした…。
ともあれ、詩を探り、短歌をさぐり、俳句をさぐる場所でもありました。
ときおり、こんな短歌を見つけてほくそ笑んだものです。
少年来る無心に充分に刺すために 阿部完市(あべかんいち)
その時代によって、受け取る者によって、
解釈が変わってくるものでもありますから、
阿部完市さんの代表作であるこの1962年作の短歌も
高校時代のわたしには
少年アイテムのひとつとして蒐集したわけですが、
おとなとなった今は、1962年という時代を
反映したものなのだろうな、とまともに考えてしまう面もあります。
ものを知らない高校生のときのほうが、
ことばそのものをイメージ化するチカラは
逞しかったと、遠い目になっております…。
池袋リブロ店撤退のあとには
三省堂書店の入居がきまっているとか。
いずれにしても、いまのわたしには
あまり縁がないように思われます。
きょうの画像は、
梅雨のあいだの野川散歩で撮影した
道端の紫陽花です。
しっとりした紫色が印象的でした。