大晦日定めなき世の定め哉 (西鶴)
その昔は、大晦日に収支決算をすませて(あるいは、すませようと奔走して)歳を越した。そういう意味の定めの日。
西鶴の「世間胸算用」をひもときつつ、借金ではないが原稿に追われる大晦日も、似たようなもの、と思いつつ。気がそれて、「西鶴置土産」のほうをパラパラとめくりはじめて、「女郎がよいといふ野郎がよいといふ」の陰間談義に、ひとりで大笑いを。腹をかかえて笑ううちに新年を迎えるのもよいかもね。
ひとりの大尽と遊び仲間の男どもが、きょうは芸子はやめて京から来た旅子と遊ぼうと云いだすのだが、呼ぶ前に下見ができないのは残念などと云っていると、亭主が「お好きな子を選べる仕掛けがございます」とかなんとか。
それが、その旅子のおつきの若い者が書いた「紹介文」。
ここからは、しばらく原文で。( )内は筆者。
「一 花山藤之介、年一四。色白にして目付よく、嘉太夫ぶかしたり申し候。一 岩滝猪三郎、年十六。躍り上手、なげぶしうたひ申し候。風儀そのまま女のやうにやはらかにうまれつき申し候。一 夢川大六、年十五。酒ぶり幾たりさまのお相手にもなり申し候。・・・(中略)一、深草勘九郎、年十七。物いひ、この巳前の鈴木平八、いきうつしに候。何も芸はなく候へども、床達者に候。一 雪山松之介、年十九、野郎なり(元服ずみという意味)。座に付きたる所、本子(本舞台にでる若衆)に取り違へる程に候。」
何も芸はなく候へども・・・で爆笑してしまったが、このあとさらに、大尽の連れの男のひとりが、十九の紫帽子(前髪を落とした野郎がかぶるもの)がいいなあ、と云う。すると仲間がバカかと切りかえす。
書き付けに十九と書いてあれば、三十九歳か四十歳にきまっている。おまえは二十一だろう。親仁とおなじ蚊帳で寝たような気になるぜ、と。
娘が年をかくすときは、せいぜい二つか三つでも、それが陰間となったら十はかるい、というわけだ。
近世物は、古典文学とちがって、現代の感覚にも語にも通じるところが多いので、なれればすいすい読めるもの。むろん、注釈を参照しつつ、である。
たまには、この云いたい放題を、楽しんでみるのもよいかと。
わたしは「左近の桜」の原稿を書いている最中に、横道へそれ。
大学生になった桜蔵はいったい何の「お勉強」をしているのやら。