
小さいおかずを盛りつけた小皿や小鉢をいくつかならべて、ご飯を食べている。一品料理よりも、こまごまとならんでいるのが好き。
これは、きゅうりとお揚げの和えもの。
(きゅうりを過熱するのが好き。ふつうの人はきらいだと思うけれど)
小皿や小鉢を好むのは、食卓の都合でもある。
むかって左にご飯、右に椀というのが、ふつうだと思うが、わたしの場合は左手前は本である。そこにページをひらいておく。(閉じないように)両すみをクリップでとめる。ご飯茶碗を左手に持ち、箸を右手に。視線は本に。おかずを食べるときは、小皿や小鉢のあったところへ一時的にご飯茶碗をおき、左手は小皿か小鉢に持ちかえる。本は読みつづける。ページをめくるときは、両手をあけて行い、またクリップですみをとめる。
文庫でも単行本でも雑誌でもこの調子だ。
以前に、DVDをみるのは、ご飯をつくるときと後かたづけのときだから音が聞こえにくくても楽しめる字幕のほうがよいのだと書いたと思うが、落ちついて画面に集中できるはずのご飯どきは、あまりDVDをみない。たいてい本を読んでいる。
むろん、食べもののしみなど、もってのほか、という本は、食事どきには読まない。資料として必要なものや、買い替えのきく文庫本などにかぎる。
以前は文庫も何度でも読みかえしたので、汚さないように気をつけていたが、今は古い文庫は文字が小さく、組みもきつく、(紙の酸化により)紙面が暗く、読みにくい。そこで、新しい版を取りよせて読む。漱石の文庫はちかごろ「全とっかえ」した。
ひさしぶりの「三四郎」はたいへん面白かった。若いころにはなかったことだが、何度か爆笑もした。読む側の心境の変化で、印象も変わる。その変化と向きあうことで、現在の自分のありようを受けいれるのも、また読書のたのしみである。