
きょうは、夏至。
というわけで、耳猫風信社も太陽の黄経が90℃になる時刻にあわせてカートオープン。
本日14時過ぎ。
家の近くの草原で、ネジリバナをみつけた。
子どものころに、こんなふうに2本ならんでいるのをみつけたら、とほうもない幸運だと思ったにちがいない。
これは、夏至の扉をひらく鍵(かぎ)なのだ、と夢想して物語をつぐむことくらい、朝飯前(あさめしまえ)だったので。
(念のため、昭和のコトバになじみのない人に注釈を。朝飯前とは、朝食のまえのひと仕事で片づくくらい、簡単なことをいう)
夏への扉といえば、
ハインラインの名作『夏への扉』を、まっさきに思いだす。
昭和の時代には、学生が十代でかならず読む本がいくつかあって、これもそのうちの一冊。
わくわくして読んだのだが、直後も今もひじょうに印象に残っているのは、歯の治療に関するエピソード。
主人公は、歯の原始的な治療法によって、過去から来た人だと、〈現代人〉に認識されるのだが、この原作がアメリカにおいて出版された1950年代後半の原始的な治療方法にすら、遠く及ばなかった1970年代後半の日本における歯の治療の状態を、当時おおいに憂えたものだ。
しかも、あれから30年たった今でも、まだアメリカなみの歯の治療はおこなわれていない。要するに、技術的なことよりも、根本的な考え方のちがいらしい。
とはいえ、先史以前の治療を受けたわたしの世代にくらべれば、超原始的な治療を受けられる現代の日本の子どもは、まだましというもの。
でも、おそらく帰国子女の人は、歯の治療をうけに子ども時代を過ごした国へ帰りたくなっているだろう。