
賢治が「小岩井農場パート四」において、
本部の気取った建物、と書いたのが、現存するこの建物だそうである。
軒などに、お菓子風の装飾がほどこされているのが、味わい深い。
賢治がここを歩いて「小岩井農場」をつづった春の風景をたどってみたかったが、
7月ともなれば小岩井もふつうに夏だった。
栗の花が、むせかえるような匂いを放ち。
これは天文台の館長にうかがった話だが、
たびかさなる冷害にみまわれたこの地域では、栗の木は切らずに残しておくものだったそうだ。飢饉(ききん)のさいに、栗の実を食料とするために。
もともと、一帯は湿地であったとのこと。
そこを明治期に開墾(かいこん)して農場にしているため、土地を肥やす苦労はひと通りではなかったようだ。
カエデ類もたくさんあったので、紅葉もさぞかし、と思われる。
夏は、プロペラ型の果実がたくさんつく季節である。
子どものころ、たくさんのプロペラ(果実)をあつめて、友だちと大きさを競いあった。
(ノートにヤマト糊ではりつける)
両羽のもの、片羽のもの、などいろいろあって楽しい。
たまに野山を歩くと、
すっかり忘れていた子どものころの遊びを思いだす。
当時は、東京にもじゅうぶん野原があり、空き地があり、遊び場があった。
桑畑はたくさんあったが、田圃(たんぼ)はなかった。
なので、やはり車窓の田圃をながめるのはめずらしく、好ましい風景となる。