11月7日の土曜日、成城ホールにて
詩人の岡島弘子さん主催の朗読会がひらかれた。
野川がテーマになっているということで、長野にも声がかかり、
友人で詩人の田野倉くんとともに、参加することになった。
田野倉くんと野川について対話したほか、
なんと、過去に一度しか自作の朗読をしたことのないわたしが、
改造版『少年アリス』の一部を朗読した。
(「たまごの標本」の章の、出だしの数ページ)
実は朗読会というのは、はじめてだったので勝手がわからず。
詩というのは、
読むだけでなく、肉声で聴くことばでもあったのだ(今さらだが)。
散文を書いているわたしは、
ふだん「声に出して読む」ことを意識していない。
けれども、「私」というものがすべてである詩の構造的な特性からいって、
肉体からの発声は、散文の書き手とはちがう意味を持つのだろう。
「生」に弱いわたしは、新鮮さと緊張を味わいつつ時間を過ごした。
ところで野川だが、
わたしと田野倉くは、この川がドブ川(要するに下水の垂れ流し)だった時代に
児童期を過ごしているため、
親しみのある川というより、
なにが流れてきても、驚かない川という認識だった。
靴、傘、ビニールシートはあたりまえ。
流木、木の葉、蛇、カエル。
ランドセル。
仔猫のはいったダンボール。
冷蔵庫。
さいわいにして、「川流れ」は見たことがない。
でも、流された同級生はいる。
(落とした筆箱を拾おうとして)
長いあいだ、あまりに身近だった野川は
小説のテーマにならないと思っていたが、
このたび、いろいろと記憶を呼びおこしてみて、
なにか書いてもよいかも、という気になった。