謹賀新年
お正月といっても、朝食にお雑煮を食した以外は、いつもとおなじ。
夜明けまえから原稿書き。
寒いので日の出も拝まず。
満月は部分食だったようだ。
(天文年鑑の記事による)
年末年始はいつもどおり、テレビ番組が貧相なので、
録画しておいたのを、見ている。
撮り忘れることの多かった木造駅舎の旅番組が、
年末に100駅一挙放送されたのはありがたかった。
こういう番組は、年末ならではなので、
その点は素直によろこびたい。
九州地方の木造駅舎から、ひまひまに見始めて、
元日の昼どきに、関東までたどりついた。
せっかく駅のたたずまいに風情があっても、
車両の色調が、すっとんきょうで、台なし。
どうしてJRの車両は、あんなふうに
ボケボケのパステルカラーなんだろう。
駅名表示の色もかたちも、
バランスを考えないがさつな大きさも、いただけない。
(昔のホーローの駅名表示は、すがすがしい紺色でよかった。
……なんて、いつの話をしているんだか)
私鉄は昔ながらの色あいの車両が多く、まだしもだが、
木造駅舎のまわりに自動販売機やそのほかの無粋な看板や、
改築部分の、あまりにも無造作なフォルムなどで、
印象をぶちこわしにしている駅が多数あった。
九州からずっと旅してきたけれど、
結局は、駅のたたずまい、まわりの風景、車両のすべてで、
満足したのは、すでによく知っている関東の小湊(こみなと)鉄道の
上総鶴舞(かずさつるまい)駅と、銚子電鉄の外川(とかわ)駅だった。
銚子は祖母の生まれたところで、
ときどき、わたしが小説のなかで、
琥珀(こはく)を釣るエピソードをいれるのを、
記憶しているかたもおられるだろう。
あれは、むかし銚子の親族に聞いた話。
銚子のあたりの段丘には、琥珀がまじっていて、
昔は、それが海水に浸蝕され、波間に浮いていたそうだ。
(今はもう浮いていない)
とうわけで、わたしが懐古趣味的に描くさいの、
木造駅舎は、子どものころの夏休みに乗った銚子電鉄の
イメージが多いのだが、それを堪能できるのは、
もはや外川駅だけ。
ほかは、めまいのするような改装によって、
直視できない駅舎に変貌している。
やれやれ。
小湊鉄道もいつまで無事でいることやら。
木造駅舎の旅番組も、もう二十年はやくはじめてくれれば、
各地の駅は、もっとましだったろうに、と思うばかり。
風情というのは、「昭和」とともに消えたらしい。