オリンピックたけなわだが、
もちろんわたしは中継も録画も見ていない。
その昔、冬のオリンピックの競技における、
国内と海外の実力の差があまりにも大きかったころ、
オリンピックの報道や中継番組は、
海外のトップ選手の技を見ることに重点がおかれていた。
だから、放送を見る楽しみもあった。
現在、日本選手の技や体格が向上したのは
おめでたいこととして、
「で、メダルをとった人の技はいつ見せてくれるの?」
という番組づくりがなされているので、
さっぱり見る気がしない。
スポーツとしてのオリンピックにしか興味のないわたしには、
個々の選手の私的なバックグラウンドなど
どうてもよい。
ところで、子どものころに札幌オリンピックがあった。
そのさいに、テーマ曲のようなものがあって、
いつでもどこでも耳にはいる状況だったが、
その歌詞のさいごのほうに、
「きみの名を呼ぶ、オリンピックと」というのがあって、
小学生だったわたしは、
かたちのないものを擬人化する、ということばの技に、
子どもながら、ほほう、と思ったものだけれど、
それがエリュアールの詩のパクリであることには、
もちろん気づかなかった。
エリュアールの「自由」という詩における
「きみの名を呼ぶ、自由と」のフレーズを知ったのも、
コミックスがきっかけ、というまぬけな高校生だったのだが。
そのコミックスは、
わたしの世代では知らない人のいない、
大島弓子さんの佳品「ローズティセレモニー」である。
この時代の、マンガ家のかたたちはひじょうに引用がうまかった。
「ローズティセレモニー」がコミック誌に掲載されたころ、
新宿タカノの紅茶専門店で、何人の同級生にあったことか。
みんな、考えることは同じなのね~と
笑いあったものだ。
「白いひつじ」を読んで、
「ローズティセレモニー」との、とある共通点にすぐ気づいた人は、
おそらくわたしの同世代にちがいない。