これは、紅茶のスプーンにのるくらいの、
ちっちゃいマドレーヌ。
ふつうによく見かける盾(たて)のように長いホタテ型のマドレーヌは、
これの3倍くらいある。
プルーストが、『失われたときをもとめて』のなかで描く、
叔母が紅茶にひたしたマドレーヌを供してくれる情景を、
読みつつ脳裏に思い浮かべようとするとき、
(欲望の風景がすでに知っているものの集合体でしかないという
哀しい事実によって←これもプルーストの説の曲解)
大きすぎるマドレーヌが、ティーカップから紅茶をあふれさせ、
水分を吸ってふくらみ、
ああ、なんだか車麩(くるまふ)を浮かべているみたい、
という気分になっていたところ、
ちっちゃなマドレーヌをみつけた。
(そもそも、プルーストはプティット・マドレーヌと書いている)
これなら、ティーカップのなかで座礁することもない。
ふたつくらい、浮かべても大丈夫かも。
でも、べつにプルーストの真似をする必要はないので、
このまま、素直に口へはこぶ。
これは湯島の(コマドリさんがトレードマーク)の
フランス菓子屋さん(ロワゾー・ド・リヨン)のレモンマドレーヌで
カリカリ、サクっとしていておいしい。
わたしは湯島の本店ではなく、美術館へ行った帰りがけに、
上野駅の構内のショップで買った。
ラファエロやカラバッジョを見てきたのに、
なぜかフランス菓子に。
ところで、マドレーヌを菓子皿にならべるとき、
ホタテ貝の溝があるほうを上にするものだと、
思っていたけれども、
少しまえに宮廷を舞台にしたフランス製テレビドラマを
見ていたら、その一場面で、マドレーヌ(大きいの)を
ヘソのほうを上にして皿にならべていたので、
もしかしたら、それが本式なの?
と思ったのだが、真相はわからない。
ちなみにこの宮廷ドラマは(前にも紹介したけれど)、
現代のフランス人がイメージする宮廷時代というものが、
表現されていて、
(やや、いいかげんにアレンジされているにちがいない)
衣裳や小道具などを見るのも愉しかった。