耳猫風信社の最新トップページのイラストは
かつてのファンクラブの会報であった「三月うさぎのお茶会通信」を
限定復刊したさいのカラー版のために描いたものである。
この当時、鳩と少年の話しを書く、と宣言しつつも
そのほかの原稿に追われてなかなか手をつけられず、
月日がながれた。
いつのまにか、当初イメージしていた要素はそのほかの原稿のなかに
少しずつ流入してべつのイメージとミックスするとともに消えゆき、
文字にあらわされることなく、遠のいていった。
というわけで、「鳩と少年の話」は
こんどの『野川』のなかに、
まったくべつのかたちで姿をあらわすことになった。
パンタロン鳩はいずこへ?
と思っておいでの読者のかたもいらっしゃるだろう。
そのうちどこかで復活すると思うので、
気長に待っていただければ……。
今は、1月号の「新潮」において
番外篇のみ短篇として掲載した「デカルコマニア」の本編の原稿を書いている。
これのテーマは、意外にも一部「野川」ともかぶっている。
というのは、ことばは耳で聞くものか、文字として目で読むものか、
いずれが現代的なのだろう? ということを
小説にしたててみたものだからだ。
聴覚と視覚。
これは今さらマクルーハンを読み返してみて、
(ありがたくも限定復刊された)
勝手な解釈と妄想世界に突入したあげく、
アルファベットをつかう言語世界の人々にとっての、
Pという文字が欠落(脱落)してゆくことの意味を、
つらつらと考えるにいたった、というしだい。
と云われてもなんのことやら、とお思いだろう。
くわしくは、「新潮」で連載を開始する「デカルコマニア」を
お読みいただければ、少しずつあきらかになる、……予定だ。
そんなわけで、連休あけの締め切りのために、
連休のない日々を送っている。