ハルキ文庫の『銀河鉄道の夜』に
巻末エッセイを載せたので、
見本が送られてきた。
オビに280円文庫創刊という文字がある。
あらためて、
賢治の没後ながい年月がすぎて、著作権が切れたことを実感した。
賢治の没年(1933年)に、
三陸地方をM8.3の地震による津波が襲った。
賢治が息をひきとる半年まえの3月3日のことだ。
そのときは、二十四メートルを超える津波が観測され、
被害は世界中に報道されて、
「TUSNAMI」ということばは、国際語になった。
その年(昭和8年)は、豊作であったという。
賢治はその兆候を知り、
冷害に苦しまずにすむということを思いつつ亡くなったようだ。
法華経を信仰していた賢治が
自然災害を、どのようにとらえていたのかを知るには、
わたしの宗教的な理解が足りなすぎる。
そこで、玄侑宗久さんの『慈悲をめぐる心象スケッチ』を読んだ。
賢治の宗教観を作品に照らしつつ、読みといてゆくものだ。
「インドラの網」のような作品を例に、
自然の猛威にたいする賢治のありかたがどうであったかを解く。
賢治は自然(神のなせる業)を、銀河に置きかえている。
その点で、「文章を普遍化する」という賢治の文学的意志が、
信仰の先にあることを考察している。
ここへきて「雨ニモマケズ」を、
手にとる人が増えているらしい。
またしても、この難物から賢治に「入る」のか、と悩ましい。
ワルいことではないけれど、
おおらかに書かれていた初期の作品を
手始めにしたほうが、
よけいな印象を持たずに賢治と親しめると思う。
賢治といえば、
「雨ニモマケズ」だけで終了している人が、
あまりにも多いから。