おととしも参加した野川朗読会に、
このたびもくわわって、
詩人の田野倉くんと、
単行本の『野川』についての話のほか、
本書でも河井先生によって語られる東京の地形について、
わたしたちの世代が小学校時代にまなんだ
「わたしたちの東京」という社会科の副読本ことなど、
思い出話をした。
「わたしたちの東京」という副読本の参考書として、
さらに「東京の地図」というものがあり、
今回は、それを持参して、お話した。
「東京の地図」は昭和44年版で、
表紙は、霞が関付近の航空写真。
なにが写っているかといえば、
メインは、竣工したばかりの「霞が関ビル」。
ほかは、高層ビルなどほとんどなく、
六本木や赤坂のあたりも、低層の民家ばかり。
霊南坂教会が、ほかの建物にさえぎられることなく写っている。
アメリカ大使館敷地にも、
白亜のコロニアル風洋館(当時の大使公邸)がならぶ。
首都高速道路はできている。
でも、そのまわりにはヒルズもサントリーホールもない。
この地図の解説に、
「ゼロメートル地帯」ということばがある。
わたしの世代が小学生だったころは、
それは東京の地形をあらわす「典型的」なことばだった。
いつから、そう呼ばなくなったのか、
わたしは知らない。
朗読会の会場では、
その件について専門家の田野倉くんから説明があった。
この「東京の地図」を、
小学校時代の(わたしにとって)退屈な授業(さんすう&学級会)中に、
いつも机のかげで、こっそりひらいて読んでいた。
先生には見つからないのに、
うるさい学級委員には見つかる。
しかも、
「学級会のさまたげになるので、廊下に出ていてください」なんて云われる。
ああ、ほんとうにイヤで退屈な小学校時代だった。
それにくらべて中学はだいぶましだった。
というより、全校生徒1000人くらいの学校だったので、
わたしのような変わり者でもまぎれこむことができたのだ。
と、そんなことまで思いだした朗読会だった。
(関係のなさそうな、上の画像は、朗読会の帰りにお茶をしたときの
ケーク・サレ)