金木犀のまっさかり。
この秋は、猛暑の夏の影響なのか、
花も匂いも
ことのほか濃密だ。
その金木犀に圧倒されつつ、ひっそりと銀木犀も薫っている。
こちらも、いつもよりどっさり花をつけている。
金木犀より控えめな薫りながら、
ややクセがある。
フレグランスとしてなら、
寡黙で謎めいた人物に似合いそう。
多くの人になじみやすい金木犀とくらべ、
好きキライが分かれるのではないかと思う。
銀といえば、
先日、某所の朗読会にて、ひさしぶりに「銀の実」を朗読した。
文庫本『綺羅星波止場』に収録してある、とっても短いお話。
『少年アリス』の原型で、小学生のころから何度も書きなおしていた。
文庫本に収録した「銀の実」はもちろん、
『少年アリス』でデヴューしたあとに手直ししたものだ。
それでも、もう二十年以上も昔になる。
(ひっぱりだしてきた文庫本は、すでに黄色く紙焼けしていた)
自分でも、細部は忘れていたので新鮮な気分だった。
朗読会は、毎年恒例で詩人のかたたちといっしょ。
少人数の読者のかたたちと直接お目にかかれる貴重な
イベントだ。
小笠原鳥類さんの朗読が、印象深かった。
鳥類さんの詩は、印刷された文字で読むと、
視覚情報による
表面的な意味に惑わされがちだ。
組み立てるまえのパズルのピースのように置かれた
ことばの断片を目にして、
それらをどうすくいとれば、よいのかと
途方に暮れることもある。
印刷の平面に置かれた文字を
うかつなわたしが、平面的にしかとらえられないからだ。
このたび、鳥類さん自身の朗読を聴きながら、
断片的な印象がまるでないことに驚いた。
新作であったけれど、おそらく視覚的な情報という意味では、
これまでの作品と趣(おもむき)が大きく変わったものではないと思う。
詩は、耳で〈読む〉ようにできているものなのだと、
あらためて感じた。
空間がすんなりあらわれ(たとえば、くじらの骨でできた船)
ひとつのイメージに向かって、ことばはグイグイと引きよせられてゆく。
地引網のように。
面白かった。
近々、あたらしい詩集を編まれるそうだ。
こんどは視覚の妙を、楽しみたい。