「群像」5月号に、
新刊『45°』についてのインタヴュー記事あり。
聞き手は、文芸評論家の清水良典さん。
お話しているあいだに、清水さんも鉱物標本収集家であることが判明し、
好物談義でしばし盛りあがった。
結晶のなかに〈都市〉を観る楽しみについて。
観察者の視点によって見える世界が異なる点では、
『45°』もおなじ。
折りたたまれ、重なる世界が、
二重、三重に見えたり、または表層しか見えなかったり、
すべてが透けて見えたり、する。
「新潮」5月号では、
「小説家の〈幸福〉について」というお題目でエッセイを掲載。
さまざまな執筆者が、それぞれの〈幸福〉について書いていらっしゃる。
「新潮」のカバーに1300号記念特別号の文字。
1000号記念の特別号を目にしたのは、
つい最近のように思っていたけれど・・・。
きょうもまた新しい一日。
いま、朝焼けがはじまったところ。
若い人は、アニメなどの影響で「新しい朝が来た」の唄が、
アタマを巡ってしまうのだろうか。
わたしは、「朝だ、朝日だ、朝焼けだ」の唄の世代。
いまはまったく聞かない。
聞くはずがない。労働の唄だから。
だれの指示で、なんのために唄っていたのか、
いまでは、さっぱりわからない。
でも笑えない。
キューブリック監督の「博士の異常な愛情~」を観ながら聴く
「いつか晴れた日に」の「いつか」とおなじくらいに。
「新しい朝」にも、なにかが暗示されているようで。
思考の過程も行動も読めない〈隣人〉がオソロシイ。