世間には、やっかいな〈しきたり〉が山ほどある。
むかしにくらべて儀式めいたことが
日常から遠のいたぶん、
かえって〈しきたり〉の数はふえた気がする。
ネットなどでのQ&Aによって、
「実は~なんですよ」
「そうだったのか!」
といった具合に、素直にしたがう人が増えたからだろうと、
わたしは推測している。
同時に日本列島東西の習俗のちがいに
おどろくことも多くなった。
以前は、気づきもしなかったのに。
たとえば、こんなこと。
もう十数年前になるが、母が自分の兄(わたしにとっての伯父)を
葬るために、佐世保へ行ったときのこと。
「おどろいたわよ。ノドボトケとその周辺の骨しか納めないのよ。
あとは火葬場へおいてくるの。
まだ遺族がいるのに、目の前でゴミみたいにかきあつめちゃうのよ」
と云っていた。
そのときは、
そこの火葬場がよほど酷いところだったのだろう、と思ったものだが。
西の地方では、部分収骨なのだそうだ。
ところが、
関東(とくに東京)では、全収骨があたりまえ。
チリひとつ残さず。
(料理店で、テーブルのパン屑を集めるときに使う
ハケのようなものまで登場)
だから、さきほどの母の「おどろいたわよ。」になる。
母の兄も、東京生まれだったのだが、
仕事の都合で佐世保へ赴任し、その地で結婚したため、
退職後は連れあいの故郷である佐世保にいたのだ。
(ご推察のとおり、伯父の職業は船関係)
日本列島の東西では、
常識もかなりちがうのだと、
つくづく思ったしだい。
西の人は、東の「壺」の無骨な巨大さに仰天するだろうし、
東は東で、「だったら、そのあと残った骨はどうするのよ」と
行方をいぶかしむ。
東西の境界をまたいで夫婦になった家庭はたいへんそうだ・・・。
だから、ちかごろは無宗教での葬送がふえたのだろう。
首都圏ではその割合(つまり坊さんを呼んだり、戒名をつけたりしない)が、
30%近くに達するそうだ。
部分と全の境界はどこだろう。
例によって糸魚川?
ところで、ノドボトケの骨というのは、
ほんとうのノドボトケではなく
(ここは軟骨なので残らない)
第二頚椎のこと。
東京凸凹地図をめくって
みうらじゅんセンセイの
「ぐっとくるグットクリフ」発言に
ぐっときて検索していたら、
その先に(ネットで)
京都出身のみうらじゅんセンセイによる
部分と全のコメント(週刊誌記事の転載)
があり、
東女のわたしが、それに反応したというしだい。
東京の凸凹地形も、
西の人は、びっくり!だと思う。
大学入学や就職で、はじめて東京暮らしになった人は、
ためしに山手線の内側を歩きまわってみて。
坂と谷と窪と崖の多さに、びっくりすること請け合い。