『〔銀河鉄道の夜〕のフィールド・ノート』
という本を読んだ(青土社刊)。
著者は科学ジャーナリストの寺門和夫さん。
賢治が『銀河鉄道の夜』で描いた世界を
科学の思考でたどってゆく本だ。
わたしなどは、もともと地図を読む能力がないので、
ジョヴァンニやカムパネルラのいた街を
地図に描いてみようとは、はなから思いつきもせず、
具体化する能力もないのだが、
賢治が、距離や時間をあいまいにしない理系の人であることを考えれば、
作品世界にも、その空間意識がはたらいているのはまちがいない。
寺門さんは、理系人間である賢治の視点を詳細にたどる。
(わたしのような理科オンチにも)納得できるよう、
第3次稿から第4次稿へ原稿とが書き直された経過にそって、
街の地図が変化したことを示してくれる。
ブルカニロ博士の名前の由来も、
(賢治の思考回路を追いつつ)
フィールド・ノートを書く方法で粘り強く解いてゆく過程が、
たいへん面白い。
これまでは、たいてい「ブリタニカ百科事典」の連想から、と
解説されてきたのだが、
寺門さんは、賢治が当時触れたであろう情報源を示して、
地道に緻密に検証しながら、火山の名前説を展開する。
なるほど~、と納得の新説だった。
賢治の樺太行きが、妹トシの面影を追う旅であったことは、
以前からさまざまな解説本に記されてきた。
さらにその旅が『銀河鉄道の夜』の原点であることも、
ことあるごとに語られて来たわけだけれども、
賢治自身は北をめざして進んだのに、
ジョバンニとカムパネルラが乗った銀河鉄道は南十字星のある南へ向かう。
それはなぜなのか。
賢治の意識のなかでは、どのような思考手順をたどったすえの
北と南の変換なのか。
寺門さんは地図や時刻表を検証しつつていねいに追ってゆく。
(わたしのザッパな頭では、途中から時刻の数字を意識できなっくなるのだが、
それはもちろん寺門さんのせいではなく、わたしの頭の問題)
わたしは、もっと単純に考えていた。
花巻から樺太(ウラシオでもサガレンでも)へ向かう地図を北の方角を
向いて手にもって
そのまま頭上にかかげる。
そうすると、北へ北へと地図をたどった先にあるのは、南の地平。
三次元空間を認識できない〈女〉の思考だと、そうなってしまうのだ。
この頭は
コミックスやアニメの二次元世界に適応するように
飼いならされてしまったようである。