あたらしい年になりました。
今年は、のんびりお正月ができるかも、
という期待に反して、
やはり原稿に追われ、いつもと変わらず。
年末の海外ドラマ一挙放送も、
あまりゆっくり観る時間はなく、たいして観たいプログラムもなく。
目玉番組はオンデマンドへ移行しつつある、と感じました。
そんななか、なんの気なしにテレビをつけたところ、
ポアロの「五匹の子豚」を放送していたので、
途中でしたが録画。
これは、ポアロの推理力を堪能できる秀作です。
16年も昔の事件をポアロがあらためて検証し、
真犯人をあきらかにしてゆきます。
大晦日はジェラルディン・マクイーワン版のミス・マープル。
これも、牧師館の殺人事件や、書斎の殺人事件や予告殺人の話などは
好きです。シリーズの後半のほうはあまり脚本のできがよくないように
思います。
この牧師館の殺人事件の、殺される牧師役の俳優さんは、
バーナビー警部のシリーズでも殺される聖職者を演じており
わたしのなかでは「殺される牧師さん」として定着していましたが、、
「SHERLOCK」のマイクロフト役では、
これまでとは異なる印象に驚くとともに、
脚本・プロデュースをも手掛ける才能ある人物であったことは、
さらに驚きでした。
話題変わりまして
河野多惠子さんの「谷崎文学と肯定の欲望」のつづきですが、
『細雪』の項になって、さらに「なるほど~」と思うところがありました。
この時代(谷崎が『細雪』を執筆した昭和二十二、三年ごろ)の
大阪言葉のけったい化と、谷崎の採用した大阪言葉についての
詳しい解説がありました。
(けったい化というのは、
戦後のマスメディアや学校教育の影響を指すのでしょう)
『細雪』の姉妹たちの会話に、
「ええやろ」「そうか」「何でや」ということばが頻出するとの指摘です。
コレ、わたしのような関東者ですと、関西弁だなあ、と思うだけなのですが、
河野さんによれば、それぞれ本来は
「よろしおますやろ」「そうだすか」「何でだすねん」となり、
けったい化では「ええでしょ」「そやの」「何で」なのだそうです。
「ええやろ」を標準語化すると「いいだろ」となる、との指摘に
はじめて納得します。
たしかに、『細雪』の姉妹の階層の女性ならば
「いいだろ」ではなくて「いいでしょ」のはず。
いっぽうで、
東京生まれの谷崎が書いた大阪言葉だから、という
批判にはあたらない、と河野さんはおっしゃる。
この時代のけったい化が旧世代と中間世代、新世代のあいだで
三様に進んでいたことを、分析してみせるのです。
それにしても、ここで示されている戦前型の「本来の大阪言葉」というのは
大阪の人でも、もはや劇中でしか耳にしないのでは。
東京ことばもおなじくですが。
(まっつぐだの、まん真ん中だの、もう絶滅しかけています)
ちなみに、河野さんがこの谷崎論をお書きになったのは、
1975年です。
先日、わたしが大阪言葉は怖いなあ、と
思ったのは、河野さんが例文としてあげている
つぎのような会話です。
たとえば、ある人が
「お宅、まだあれ保ってはりますの?」(保→も)
と訊きます。
「さあ、どないだっしゃろな」という返事であれば、
それは「保っていますとも」という意味なのだそう。
しかし、それをべつのだれかに伝えるときは
「まだ保ってはるらしい」とは決して云わず、
「さあ、どないだっしゃろな、ということだしたわ」と
云うそうなのです。
これが河野さんが指摘するところの
「大阪言葉の曖昧づくりで言うべきことの核心は適格に伝える
機能と習慣の特色」なのです。
ことばは標準語化されている現代の大阪の人も
こういう感覚は、まだしっかりお持ちのはず。
だからこそ、白黒はっきりしすぎる東京ことばは
「きつい」と云われてしまうのでしょうし、
会話も気まずくなるのですね。
ということで、よい勉強になりました。
テレビ放送はくだらない番組ばかりなので
市川崑監督の『細雪』のDVDを観ることにします。