先週、ほぼ同世代の編集者であったKさんの訃報に接しました。
ほぼ、というのはわたしよりも少しだけお若いかたであったからです。
デヴュー当時より二十年あまりの長いおつきあいでした。
けれども、体調を崩されていたことにはまったく気づかず、
突然の訃報に、ただただ驚きました。
ブンダンおよび出版界という、
いまだに完全な男社会であるこのカテゴリーにおいては
なくてはならない編集者でした。
女の書き手にとっては、頼りなる、
そうして書いたものと連動する社会的背景
(主に男社会への不満、不適合)を共有できる編集者でした。
モノ書きとしてのわたしよりも、
はるかにエネルギーをつかって、
出版社内での変革を試みた世代のかたです。
Kさんの同僚でもあるNさんは
名物編集者としてマスメディアにも登場するかたですが、
ガンコで旧式な男社会を変貌させる担い手であった
このおふたりが若かったころ、
わたしもデヴューしたて、でしたので
お茶やランチのあいまに、
男どもがぶちかます男のヘリクツへの不満を
三人で盛んに口にしていたものです。
そう遠い昔のようには思えないのに、
実際は二十年以上もまえのことになります。
Kさんは
『あのころのデパート』を連載していた当時、
その雑誌の超多忙な編集長でした。
取材で一緒に都内のデパートめぐりをしたのは、
そう遠い過去ではありません。
単行本になったのは一昨年の夏ですが、
月日としては二年たっておりません。
また、文庫版『雪花草子』では、
文庫本にはもったいないくらいの装本に仕上げてくださり、
ほんとうに感謝しています。
ごく近しいかたにしか
おからだのことはお話なさらなかったのだと思います。
あたりさわりのないような
「老眼が進んで本が読みづらくて」という話はよくいたしました。
Kさんは目を酷使する編集者にはめずらしく
視力のよい眼鏡不要のかたでしたので
老眼の症状がより顕著にあらわれるようでした。
デパート取材のあいだに、そんなお話をしたのも、
わずか二年ほどまえのことなのです。
まだこのさきも
原稿を読んで、適格なご意見をくださる、
その日々がつづくものと思っていました。
今年もいつもどおり年賀状をいただき、
そうしてわたしはいつもどおり、
すぐさまの返礼ができずにいました。
年末年始に抱えていた原稿で頭が煮詰まっていたので
気持ちの余裕がなく、
区切りがついたところで、落ち着いて返礼することにしてしまったのです。
メールで「いま切羽つまっていてご挨拶ができず~」とお詫びするのも
おかしなことのように思われ、
返礼の遅れは毎度のことでもあるので寛してくださるだろう、と
そんなふうに考え、
2月の末締切の原稿にようやくメドがついて、
さあご挨拶状の用意をしよう、
と考えていた矢先の訃報です。
わたしの世代は、
日常のあれこれを先延ばしにすることによって、
「それを実行できないかもしれない」可能性を
頭に入れておかなければならない年齢になったのでした。
五年ほどまえから、
同窓会(に出席した人)の伝聞として、
〇〇さんが亡くなった、という消息を毎年のように耳にしていました。
もう若くはないのです。
Kさんには、
たとえ雑な返礼でもお届けしておけばよかった、と
悔やんでいるところです。