ビダクオンは、鼻濁音と書きます。
東京方言で特徴的にあらわれる発音です(でした)。
そのため、東京方言をベースにつくられた標準語にも
導入されましたが、学校教育の現場では
鼻濁音にかぎらず、いっさいの発音教育がありませんので
(教員が鼻濁音をつかわない場合も多く)
最近では、鼻濁音なんて聞いたこともない、という若者が
増えたというわけです。
たぶん、中国、四国、九州地方の方々は、
「なんだそれ?」と思われていることでしょう。
この3地域には、伝統的に鼻濁音がないので
若者のみならず
高齢のかたも使わないからです。
わたしの祖父は広島の人でしたが、
十代で東京暮しをはじめ、子育ても東京でしたので
その息子である父は鼻濁音話者でした。
母も東京育ちですので、鼻濁音話者です。
わたしも鼻濁音をつかいますが、
濁音との使い分けが、かなりいいかげんです。
学校教育の現場で混乱しました。
先生のほとんどは鼻濁音を使いませんでした。
わたしの子ども時代はそれが
保護者による教師への不満にもなっていました。
「あの先生って、家鴨みたいな話しかたね」という悪口は、
鼻濁音を使わずにガーガーしゃべる先生、という意味でした。
わたしが「長野」と発音すると
「が」は鼻濁音になります。
でも、広島の親族が「長野」と発音すると
「が」は濁音なので、
子どものころは「なんだかちがう名前みたい」と思っていました。
東京方言ではかつて鼻濁音と濁音の使い分けは
厳密で複雑(怪奇)だったそうです。
その構成は迷宮のようです。
複雑すぎると、使い分けが継承されなくなるのは当然ですね。
わたしの場合、
鼻濁音でなくてもよいときにも鼻濁音になってしまう傾向があります。
鼻濁音になっているかどうかは
おおまかには
鼻筋に指をあててみるとわかります。
「ん」を発音するとき、音は鼻へぬけてゆきます。
それとおなじです。
「が」のまえに「ん」がつく発音をすると鼻濁音になります。
つまりわたしは名乗るさいに、
「なんがの」と発音しています。
「ながの」とはあきらかにちがいますよね。
まあ、グローバル化の今日では
こまかいことは、あまりとやかく云うべきではありません。
ことばは、移ろうものです。