上野方面へ出る用事があったので
そのまえに弥生美術館へ寄りました。
陸奥A子さんをはじめとして
「りぼん」に掲載された作品に関連する
原画やふろくが展示されているのです。
ひとりで出かけたのですが、
会場の展示を愉しみながら、
これは同時代の熱気を共有した友人たちと来るべきだったと
少し後悔しました。
昔を思いだしてひとりで「にまにま」していると
完全に変な人ですから……。
原画を拝見するのは、実ははじめて。
ネームの自筆文字が、はみだしコラムなどで拝見していた
正統派丸文字そのもので、おお!と思いました。
わたしは70年代作品をリアルタイムで拝読しました。
単行本ですと『たそがれどきに見つけたの』の
カバーにはたいへん馴染みがあります。
「秋にのって」のネームにとても苦労された、という
エピソードに納得しました。
あの作品は、読者であるわたしにとっても
ネームのひとつひとつが奥深く、
難解でもあり、読み応えのある作品でした。
いまは手もとにないので記憶のなかで
勝手に捏造したものになっていることは
まちがいないのですが
とあるネームがとくに印象的です。
余命がわずかであることをほのめかされた人物による
「こんど生まれ変わったときに、わたしがブタであなたが羊でも
お友だちでいてね」というような(ニュアンスがちがっていたら
ごめんなさい)セリフがありました。
わたしの友人は、そのセリフを口にだして云ってみるのが大好きだったので
学校がえりに、野川公園へ寄り道していたころ
(くじらやまのところで)
なんども聞かされたものです。
べつにわたしにたいして云っているわけではなく
演劇のように、
架空のおともだちにたいして云っているのです。
陸奥A子さんの作品群は、オトメチックという括りで
語られるいっぽうで、
しばしば「カマトトぶりっコ」と混同されていましたが
わたしはこれにはいつも憤っています。
カマトトぶりっコは鼻の下に鉛筆をはさむたぐいの女のことであって
陸奥A子さんの作品やその登場人物たちにあてはまりません。
オトメ心を理解しない方々にはぜひともそこのところを
間違わないよう願いたいものです。
鼻の下に鉛筆をはさむ女の撲滅運動を広めたいくらいに、
わたしはこのたぐいの女とそれが登場するコミックス
およびドラマ(映画)が大きらい(その前に観ないけれども)
具体的に挙げるのは控えますが、
わたしの読者のみなさんには云わずもがなで通じているだろうと
思います。
陸奥A子さんの作品は実はとてもリアルな表現が多かったことにも
触れておきたいと思います。
主人公より少し年上の「おねえさん」たちの結婚や出産などを
話題にするときの云いまわしにそれがよくあらわれていました。
おおやけの場に、いっさい登場しない陸奥A子さんですが、
会場に掲げられた自画像を拝見して、
いまでもわたしたち年少の読者にとっての
よきおねえさん、であられるなあ、と思いました。