会場は蘆花公園駅下車の世田谷文学館です。
展示室までの階段をのぼっているときから聞こえる早口の肉声。
もしや、と思えば、それは澁澤さんの声の録音でした。
実は初めて、声を聴きました。
なぜか低音のかたと思いこんでいたので、なかなか衝撃でした。
土方巽さんの葬儀での弔辞です。
展示室では『高丘親王航海記』をはじめとするナマ原稿をたくさん観賞できました。
思考の過程を図式化すると、こうなるのね、などと思いたくなるような
原稿でした。
ピエロ・デ・ラ・フランチェスカ描くところの聖母子像の頭上から吊りさがる
宇宙卵についての部分の原稿など、興味深く拝見。
はじめて澁澤龍彦の筆名をつかって書いたサド侯爵の論文が
当初「三田文学」でボツになったというエピソードは、
これまでの年譜で認識していましたが、その論文が
「早稲田大学論文用紙」なるものに書かれているのを今回の展示で知りました。
ボツになったのは、その原稿用紙のせいでは?と思えてなりません~。
ジャン・コクトーから澁澤さんに送られたという手紙にも釘付け。
わたしは澁澤さんのほとんどの著作を河出文庫で読んだ世代なので
会場に展示してあった初版本をながめつつ、
装幀もふくめて、澁澤さんの美意識を詰めこんだ
凝りに凝ったものであったことを、あらためて確認できました。
装幀のデザインを指示したスケッチなどもあり、ご本人が相当に関与しての
本づくりであったのですね。
60年代後半から70年代のサイケデリックな時代の、鮮やかな表現に魅せられました。
澁澤さんがハンス・ベルメールの球体関節人形をはじめて紹介した
雑誌『新婦人』も、当時としては相当に斬新な表紙だったのだろうと思います。
実は、わたしが美大の学生だった70年代後半から80年代初頭は、
ひと時代まえのデザイン(つまり、サイケデリック)を否定することから
はじまったので、
(なにしろ、テクノやらDCブランド全盛期)
マーブルやペイズリーなどに新しさを感じることはいっさいなかったのですが、
いまとなっては、テクノやDCブランドのことを思いだす人もいないわよね~と思うのでした。
澁澤さんのパスポートの写真(メガネなし)まで展示してありましたが、
黒ネガネでの登場に徹していたシブサワさんですので、
これはちょっと、踏みこみすぎでは、と思いました。
われわれ読者は筆名としての澁澤龍彦とテキストについて知ればじゅうぶん。
森茉莉さんの展示のときも、
これはご本人が絶対に公開したくなかっただろう、
という晩年の写真が大きく引き伸ばされて展示してあったことに
展示内容の充実というよりは
主催者の無意識のイジワルさ、を感じてしまったものですが、
今回もそれを思いだしました。
学生時代、
ピラネージもクラナッハもアルチンボルドもみんなみんな
シブサワさんから学んだのだったなあ、とあらためて再確認した
展覧会でありました。