夏につづいて初参加の秋の文学フリマも無事終了しました。
耳猫風信社のブースへお立ち寄りくださり
ありがとうございました。
わたしは毎度のことながら原稿に追われておりまして
家にひきこもりでした。
いま抱えている原稿は
なかなか手間がかかってしまい、
年を越すことが確実です。
みなさんに一番やはく読んでいただける新作は
筑摩書房のPR誌(2018年2月号、3月号)
に掲載される短篇になりそうです。
発売日など詳細は耳猫風信社HPでお知らせします。
少し古い話になりますが、
足利美術館で開催中の「詩人吉増剛造展」に出かけてきました。
両毛線にはじめて乗りましたので、
車窓の景色もめずらしく、遠足の子どものように
やや斜めに椅子にこしかけ、外をながめておりました
小山で乗り換えましたので、方角として電車は西へ。
雲の多い空もよう。
南側の山地は岩肌のいろで、背景も墨色の雲。
その稜線に、わずかに白い冠の頂が見えかくれします。
もしかして、富士山?
と思いつつも確信は持てず。
富士山らしい輪郭を確認できるほど見えるわけではなく、
ほんとうに「お帽子」だけ。
しかし、関東山地の山々より高いのだから、やはり富士山だったかも。
吉増剛造さんの展覧会は、
一九七〇年の『黄金詩篇』からはじまります。
初版は赤瀬川源平さんが描く、血の海から黄金の指が突きだす伝説の装幀です。
(ええ、もちろんこれは指であって指ではない)
つづいて「古代天文台」の初出の誌面に、
吉増さんが書き込みや指示を入れたものが展示されます。
つまり、ひとつの面のうえに、はやくも新しい面が重ねられたのです。
吉増さんの「脳」のなかに、こうした過程が
盤面記憶として格納されていることでしょう。
(ここで、わたしは銅板が層をなす若林奮さんのオブジェを思い浮かべました)
さらに同時代の
中西夏之さんのアクリル樹脂に卵形のオブジェや、
加納光於さんの作品を紹介しつつ、
八十年代の『オシリス、石の神』、
九十年代の『螺旋歌』を経て
多重露光写真と日記を素材にことばとヴィジュアルが融合してゆく
二〇〇〇年代の仕事へと、つながってゆくのです。
図録も素晴らしい。
直接美術館へ足を運べそうもない人は、図録だけでも
お取り寄せになるとよいと思います。
図録をながめつつ、年代順の変遷を層にしてとらえてみますと、
最近の吉増さんの作品が、
かぎりなく立体(建築)であることを、自然に了解できるのです。
(書が、建築物であるのとおなじく)
時間と経緯というものが、立ちあがってくるからです。
まもなく12月ですね。
今年は寒さが厳しいようなので、
わたしはますます家ごもりが多くなりそう。