和すみれを探しにに出かけたのですが、
近くの緑地では洋モノの園芸品種しか見つからず
近くの大学の農場では、すみれそのものが見当たらず、
カラスノエンドウやホトケノザが繁茂していました。
ことしは桜の季節が早まり、
木蓮やコブシ、レンギョウ、ユキヤナギと競演。
沈丁花の香もしています。
画像の枝垂れ桜は3月19日に
浅草寺の伝法院で撮影したものです。
このときはまだ東京の開花宣言が出ておらず、
花見目当ての観光客はごくわずか。、
書院まえの枝垂れが、ほどよい咲きかげんでした。
(枝垂れは満開ですと、咲きぶりがやや暑苦しい)
池のほとりのオオシマザクラは、ひっそりと満開を迎えていました。
まだ訪れる人の少ない時期に、
静かにゆったり桜を愛でることができ、
この春はこれで満足しました。
3月最後の週は、
ご近所のソメイヨシノがいよいよ満開に。
巷でたびたび云われていることですが、
東京の桜は高度成長期の
都市開発にあわせて植樹されたものが多く、
いまや樹としての盛りを過ぎて老境に。
街路樹として植樹されたところでは、
幹の姿も悪く(電線を避けるように枝をはらう作業を
長年くりかえしているため)
傷みも激しいようです。
根本はわずかに土を残してまわりを敷石などで固められていますし、
通行人に踏まれますからね。
ついには幹からじかに咲いてしまう始末。
この桜は、地元でまさに桜通りと呼ばれている通りの
桜なのですが、
この桜並木がほんとうに美しかったのは
三十年ほどまえのこと。
いまは哀愁が漂っています。
4月8日に予定している
耳猫風信社主催の読書会は
『さくら、うるわし』を課題図書にしておりますが、
そのころには葉桜をながめつつ、
お話をすすめることになるでしょう。
それもまた、一興。