酷暑がつづきますね。
先週のデビュー30周年イベントには
連日の暑さにもかかわらず、多くのかたにお越しいただきました。
感謝いたします!
遠方からも足をお運びくださり、御礼申しあげます。
ギャラリービブリオさんは「昭和の住宅」をそのままギャラリーにした
くつろぎスペースです。
わたしは、東京下町の生まれなので
こうした「昭和な」場所では、ほっとできます。
とはいえ、わたしは一軒家育ちではなく、
ずっと集合住宅でしたが。
森茉莉さんが浅草のアパート暮らしの思い出を
随筆で書いていらっしゃいますが、
でかけようとするとアパートの住人が
あけはなしの戸口(布だけがかけてあるような)から
まりさん、遊びに行くの? と声をかけてくる
――そんなエピソードだったと思います。
わたしの記憶にあるのも、まさにそんなようすのアパートでした。
どの部屋にも入ったことがあります。
たぶん、子どもは行き来自由だったのでしょう。
路地と曲がりくねった細い道。
この五月、
当時のアパートがあったとおぼしき場所を
訪ねてみたのです。番地を頼りに。
一部の道や路地はそのまま、ありました。
道幅のあまりの狭さに驚愕しました。
消防車は入れません。
というより、軽自動車もどうかわかりません。
けれども、そこは日比谷線の入谷駅のすぐ近く。
都心への通勤にはたいへん便利です。
わたしが暮らしていたころは、
職人と商人と料理人(浅草界隈ではたらく)ばかりでした。
一時人口が減っていたこの界隈では小学校の統廃合も
進んでいますが(跡地は防災上の拠点に)
父が通った小学校はまだありました。
学齢期までそこに暮らしていれば
わたしも通ったはずの小学校ですが、
その年齢になるころは東京の郊外に引っ越していたのです。
町から市に昇格したばかりの地域でした。
これもまた、下町しか知らなかったわたしには驚愕でした。
舗装道路がほとんどなく街灯もなく、町そのものが真っ暗で。
天の川が見えました。
しかし、当初は煙突の煙だと思いました。
下町のお風呂屋の煙突の煙を見慣れていたもので。
星もよく見えましたが、
それ以上に、
ひきりなしに通る航空機(米軍機)の灯のにぎやかさが印象的です。
輸送機は、ことに巨大で、
くじらが通るのかと思いました。
そのうち、昭和の東京の風景を
小説にまとめてみたいと思っています。