渋谷区立松濤美術館にて、
〈詩人 吉増剛造〉展がはじまりました。
この美術館を訪れるのは、はじめてではなかったけれど
区立であることを、意識していませんでした。
会場に、区の関係者のかたが多くいらっしゃり、
ようやく気づいたしだいです。
夏休み中の開催ということもあり
区内のの小中学生向けのパンフレットも特別に製作した、という
お話でした。
都会の小中学生は、こんなふうに文化的恩恵を
受けることができるのね、と
ちょっと羨ましく思ういっぽう、
「そのパンフレットには、自分で詩を書きこむぺーじもあり……」と
説明がつづいたときには、
「ちょっと待った」と云いたくなったわたくしです。
書かなくてもいいのです。
まずは読んでください。
(かつて丸谷才一さんは、もっと過激に
子どもに詩を書かせるな、とおっしゃていましたっけ)
吉増さんの展覧会には
〈涯テノ詩聲〉という副題がついております。
初期作品から、最新詩集の『火ノ刺繍』まで
詩と写真と、関わりのある人や風景、風物が
それこそ刺繍のように編みこまれて、
ひとつの世界が構成されています。
松濤美術館の螺旋階段が、
展示の方向性を暗示しています。
直進するのではなく、螺旋を描きつつ進んでゆく
吉増さんのお仕事。
詩には、
読むもの、あるいは聴くもの、としての面があることは
どなたもご承知でしょう。
吉増さんの作品の場合は、
さらに、詩は観るもの、
という面もあります。
みる、というコトバに充てはめられる漢字は
いくつもありますが、
わたくしは賢治作品でもそうなのですが、
やはり〈観察する〉ニュアンスの強い
観る、という漢字がしっくりします。
今回の展示では、文字がカッティングされて、
天蓋から雨のように滴る、という演出もあり、
文字とコトバのありかたを、立体的に目撃できます。
そう、目撃する、というのも観察に劣らず重要です。
みなさんも。ぜひ目撃してみてください。
特別に吉増さんの「ある年、ある月の」
スケジュール帖の一部が展示されていました。
その移動距離の激しさに、
旅する詩人の神髄をみました。