このたびの新刊カバー、
クリスマス仕様の
ラッピングペーパーのようなので
そのままリボンで飾ってみました!
チョコレートの函のようにも見えます。
賢治さんの『銀河鉄道の夜』では、
鳥捕りが登場する場面にて、
銀河でつかまえた鳥のお菓子が
「チョコレートででもできているやうに、
すっときれいにはなれました」と
表現されているのが印象に残ります。
賢治さんイメージしたのは板チョコでしょうか。
山登りのさいにも持ち歩いていたらしいことが、
つぎのような
初期短篇「柳沢」の記述から連想されます(原文は改行なし)
鈴蘭の葉は熟して黄色に枯れその実は兎の赤めだま。
そしてこれは今朝あけ方の菓子の錫紙。
光ってゐる。
新刊の最終的な作業をすすめていた11月、
入沢康夫さんの訃報が届きました。
現代詩の代表的な詩人であることは申しあげるまでもなく、
長い時間と途方もない力を傾けて、
賢治作品の校本作業に取り組んでこられたかたです。
私はこのたびの原稿において
校本のほか、
賢治記念館の出版物である
『宮沢賢治「銀河鉄道の夜」の原稿のすべて』を
かたわらに、書きすすめました。
監修なさった入沢さんの解説や注釈なしには、
「賢治さん」という山を登ることは
とうていできませんでした。
深く感謝申しあげます。
賢治さんの膨大な作品群の読解は
入沢さんと天沢退二郎さんのおふたりの
力によって、今日のように整えられてきました。
「銀河鉄道の夜」は、
賢治さんの書き直し作業が複雑であるため
いくつもの層をもった作品です。
そのことを表現するため
カムパネルラさんに語ってもらう、という手段をとって
このたびの原稿を書き進めました。
「銀河鉄道の夜」は底なし沼のような作品ですので
しばしば、沈んでしまいそうになりました。
少年カムパネルラは、
暗黒星の暗闇をへて、常世の国へ再生できたのでしょうか。
その答えを、賢治さんは「詩」のなかに
遺しているはずです。
賢治さん自身はその「詩」のことを
心象スケッチと呼びました。
文字であるとともに絵でもある。
文字としてうけとった情報が、
意識のなかで映像となる。
そんなふうに、読み手のチカラが
試される作品群でもあります。
手ごわい「山」ですが、
もちろんハイキングもできます。
できるだけ多くのかたに、
賢治さんの童話作品だけでなく、
「詩」も愉しんでいたたければ、と思います。