この春は、なんとか出会うことができました。
バス停ちかくの緑地のひあたりに
群れ咲いていました。
地面すれすれに咲くので、
どうしても真上からの撮影になってしまいます。
まさか、バス停で地面に這いつくばるワケにもゆかず。
モニュメントらしき石のまわりで
とくに繁殖していました。
この石はお散歩犬の
ランドマークと思われますので、
養分たっぷり、なのかもと。
すみれは清楚な容姿によって
華奢な印象を持たれがちですが、
じつはかなりの戦略家ですし、丈夫です。
(繁殖計画に関して)
すみれを見つけられないのは
減少しているのではなく、
たんにわたしの外出が少ないせいで
花時を見のがしてしまうから。
葉だけ茂っていると、
そこらへんの雑草と見分けがつきにくくなるのです。
意外に、もさもさと茂るので。
ところで、「すみれ」って思えば奇妙なことばですよね。
万葉集(ちかごろ急に注目の)でも歌われているほど
和語として定着した時代も古いのですが
それだけに語源もわからなくなっています。
大工の墨入れ説。あれは江戸っ児の駄じゃれ。
でしょ?
ちまたでは、語源として認知されていますけどね。
わたしは受け入れがたい。
万葉歌人が、春の川筋の土手などをあるいて菫をみつけ、
「墨入れに似ているなあ」なんて思うのか~。
それに多くの宮廷人たちが同調したとも考えにくい。
発想として、雅でもなし。
(名づけたのは、さらに古い時代の人々かもしれませんが)
春のまだ寒い野に咲く澄んだ色の花を愛で
「澄んでいるなあ」って共感しているうちに
それが花の名前になったという気がするけれど。