
マンダリンオリエンタルでお茶をしながら昔ばなし、のつづき。(チョコレートスコーン&プレーンスコーン、クロテッドクリームとマンゴーピュレと木苺のジャムがつく)
小学校時代の夏休みには、野外で映画が上映されるのも、ひとつの楽しみだった。とはいえ、上映されるのは古いモノクロ作品が多く、日没まもない時刻の上映だと、ほとんど画面が見えないことも。しかも教育的内容の映画ばかり。
ときはうつって高校時代、女子校で美術系であったため、理系科目に身がはいらない生徒がほとんど。夏のあつい日の授業ならばなおさら(むろん、教室に冷房なし)
それを察してか、生物の教師が夏のあつい時期はいつも、授業のかわりに理科室に暗幕をめぐらせて上映会。役所の教育委員会が貸し出している教育的映画を上映する。むろん、パロディとして見る(ばか笑いをしつつ鑑賞した記憶あり)
そのときに、小学校の野外映画で見たことのある映画に再度めぐりあった。『誰かがやるだろう』、『空気の無くなる日』など。
小学校時代には見ていないが、高校のときは『あやまち』がダントツ人気だった。内容はタイトルで連想してほしい。こうして書いているだけでも、笑いころげた記憶がよみがえる。箸が転げてもナントヤラの歳だったので。
『空気の無くなる日』は夏の話であったので、印象にのこっている。空気のなくなる日にそなえて、金持ちは自転車のチューブを買いしめ、庶民は洗面器に顔をつけて息をとめる練習などをし(小学校時代はこのリアルさに、息がつまった。プールの授業で鼻から水を吸いこんでおぼれかけたことなど思いだし)、不安のままその日(7月28日とされる)をむかえる、という物語。
小学校でこの映画を見たときは、第一次オイルショックのさなかでもあり、なんだか切実だった。調べてみたところ円谷プロのホームページに解説あり。つまり、この作品は東宝の特撮スタッフが、外部の映画製作に協力していた時代に撮ったすぐれものの映画だったのだ。