
赤塚不二夫さんの訃報を耳にして、またひとつ、「線が消えた」のだな、と思う。
スヌーピーの作者のシュルツさんが亡くなられたとき、ミッフィーの作者のブルーナさんが「線」の喪失について、下記のようなことをおっしゃっていたのが印象深い。
「ひとりの作者が亡くなられるときは、線も消えてしまうのです」と。生前に描かれた線は印刷によって保存されはしても、その作者の手によって新しく線が生みだされることはない。
つい先ごろ、泉麻人さんの『シェーの時代』を拝読した。昭和の子どもについての、こまやかな観察が盛りだくさん。牛乳箱や用水桶といった背景のアイテムから読みこんでゆく手際(てぎわ)はさすが。
そこに収録された「おそ松くん」の数々のカットは、40年まえの新しもの好きの子どもたち(と一部のおとな)を「とりこ」にした、やわらかくモダンな線で描かれている。
コミックスは文字を読むものでもあるけれど、小さなコマに描きこまれた身ぶりや、表情だけを目で追うのもまたたのしい。
メンズのファッション誌をめくっていたら、この秋の〈コム デ ギャルソン〉のプリントシャツに、チビ太が登場していた。線がモダンだから、プリントもようとしても生きてくる。細身の若者が着たら、とってもカッコいいにちがいない。おそ松くんのブーツもあり!