
これは小学校の校庭にあった遊具で、創立二十周年を記念してつくられたもの(と記憶する)。
リングタワーとの名称であったが、上部(色ちがいの部分)へのぼることは禁止されていた(踏みはずして落ちるとキケンだという理由で。現在は児童の運動能力が再認識されたのか、自由にのぼれるとのこと)
先日、学校のなかを見学したおりに、「あした、撤去工事をするんですよ」と教えられた。
すでに、うちすてられたような姿であるが。
背景の緑は、斜面になった緑地帯で、その手前までが校庭の敷地。かつて、休み時間には、やわなフェンスを乗りこえて緑地へ遊びに行ったものだが、いまはむろん、そんなことを教師は黙認してくれない。
夏まえに、「文藝」秋号の特集の取材で校庭を訪ねたおりには、飼育小屋に老いたクジャクがいた。
「このあいだ、死んでしまったんですよ」とのこと。冥福をいのる。
むかしも、夏休みが終わって学校へ行くと、なにかしら変化があったものだが、この学校の子どもたちも、遊びなれた遊具と、クジャクのいない校庭で、二学期をむかえる。
「でもリングタワーは老朽化しての撤去だと、生徒も納得しているから、ショックはないと思いますよ。回旋塔を撤去したときは突然だったので、それはもう騒ぎになりました」と、案内の先生。
回旋塔は、よその学校で事故が多発したので、生徒に知らせずに撤去したと云う。
生徒たちは、最後の「ひと遊び」をしたかったにちがいない。
今、こうして書いていて、わたしは老躯のリングタワーに、「長いあいだご苦労さま」と云ってくるのを忘れたと気づいた。
のぼりおりしたあとの、手のひらの鉄さびのにおいを、ときおりひっそりと思いだすことにしよう。
感謝をこめて。