
シャワーと木造の更衣室が、ほぼ昔のままだったのはおどろき。先にも書いたとおり、森と隣接したこの学校のプールには、足の数が人間より多いものたちの訪問が、ひきもきらない。ゼロも100もあり。6も8も常連。
そうした訪問者が、自宅でもあたりまえだった昔ならいざしらず、ちかごろの生徒たちの家庭では、そのような訪問者は門前ばらいされているはず。
案内してくださった先生にいよれば、たいした騒ぎにはならないとのこと。思いのほか、今の生徒たちも自然児のようだ。
わたしが小学生だったころは、学校のちかくに、私設プールがあった。50メートルプールだった。
水源は湧水で、「かけ流し」であるから、水質はよい。水温はとてつもなく、ひくい。ただし、水質のよさは、現代的な意味においてではない。タニシやゲンゴロウやフナが同居しているのを、いまどきは、よしとしないだろう。
水質のよい土地がらだったので、高校になって都区部の学校へ通うようになったとき、水道水のあまりのまずさに、あぜんとした。なまぬるいうえに、クレヨンのような味だった。飲料に適さないことをあとで知った。
そのために、校舎の各階ごとに浄水機が設置されていた。真夏のあつい季節は、この浄水機のまえに休み時間ごとに、長い行列ができた。ジュースの自動販売機もあった。当時は、瓶だから、みながジュースを買う音は、休み時間じゅう、ガコン、ガコンとひびきわたった。